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藤沢嵐子さんご逝去   

先月22日、タンゴ歌手 藤沢嵐子さんがご逝去されました。

嵐子さんは歩く金字塔のような 本当に偉大な歌手なので、

私が何やら書くのはとてもおこがましく感じられて、

それに彼女の公の場に出ない決意はとても強かったようにも思い、何も書かないつもりでしたが、

日が経つにつれ、様々な場面が懐かしく暖かく思い出されて、

気持ちの区切りとして やっぱり書くことにします。



藤沢嵐子さんのことは、タンゴを演奏するようになってすぐに知りました。

今はどうか分からないけど その頃はCDショップにも嵐子さんのCDが売ってたし、

先輩方、お客様とのお話しにもよく名前があがってました。

CDで聞く彼女の歌は、声が良いとか外国人が良くやってるとかそういうことではなく

アルゼンチンタンゴそのもので、どうやって・・?!心底仰天したのを覚えています。

私が育てていただいたバンドは 嵐子さんが歌っていたオルケスタ・ティピカ・東京と

いわばライバルバンドだった・・・ということもあり、なおさら嵐子さんは遠い偉人と感じていました。


ある時 旦那が「長岡の嵐子さんに会いに行こう!」と言いました。

どうしてるかずっと気になってたから・・・と言うのです。嬉しい提案に、本当に心が踊りました。

それから本当に幸運なことに、幾度かお会いする機会がありました。


・・・これは終始変わらなかった印象ですが、彼女は本当に凛とした方でした。

私はそれまであんなにただ人ならぬ雰囲気をまとったおばあさんを見たことがなかったし、

たぶんこれからも見ることはないんじゃないかと思います。


とにかくかっこ良すぎました。

話しの合間にコーヒーを飲む姿。

ちょっと気だるく椅子に座るポーズ。

煙草に火を付ける仕草。

煙草の灰を灰皿に落とす指先…。


本当に素晴らしく凄まじくかっこ良かった。


ある時、旦那の新潟公演を聞きに来て下さった時、終演後のサイン会場に姿を現した彼女を見て、

隣にいたギタリストの笹子重治さんが「あの人だれ?」・・・先入観がなくても 同じなんだと思った。

「藤沢嵐子さんだよ」と言うと、笹子さんは珍しく、ちょっと興奮したように

「すごい大物オーラ・・・!」と言っていました。



私がタンゴを弾き始めた頃は、コンサートもライブもお客様はほとんど、私の親よりちょっと年上?でした。

それは演奏者が当時の若者(笑)でも同じでした。

つまり戦後日本の空前絶後の大タンゴブームの時、青春真っ只中だった世代の方達です。

そして曲目には、これがないとまずいかな?とか、これやれば喜んでもらえるな・・・とか

いわゆる外せない曲ってのがありました。


MCで曲名を言っただけで低い歓声、弾き終わると演奏の良し悪しに関わらず「懐かしい・・・」と涙される。


歌の曲をなぞるようにインストでやっても、お客様が一緒に歌ったり・・・。


今振り返るとお客様に育てていただいたな〜と思いますが、当時はやりやすいって言ったら

まぁそうなんだけど変なぬるま湯に入ってるみたいでやだな〜・・と思ってたんだ。(ほんとにごめんなさい)


だけど、何でこんなに日本人がタンゴ数曲知ってて当たり前!な、

今じゃ信じられないことになったかと言うと、

日本人にそれだけ本場に引けを取らないミュージシャンがいて、

間近にあるいはラジオやテレビで、手軽に名演奏を聞けたからなんだと思います。


歌の曲を大勢の人が普通に口ずさめるのは、間違いなく藤沢嵐子さんがいたからなのです。


私が嵐子さんに会いに行くと親に告げると、タンゴを聞いてる所なんて見たことない両親が、

新宿コマ劇場でティピカ・東京をバックに歌った嵐子さんが、いかに素敵だったか

どれだけ美しかったか熱く語っているのを見て、本当に知らない人はいない

国民的スターだったんだなぁ・・・と思いました。


旦那と私は、彼女にとって世代が違ったので、

仕事の話し 旦那様の話し 日々の生活のこと、色々お話し聞かせていただき、本当に楽しかった。


彼女のマンションに伺った時は、80代の独り暮らしとは思えない

その整理整頓ぶりに驚かされ、私も頑張らなきゃ と大いに刺激を受けました。

DVDプレイヤーを持っていないと言う彼女に、自分の演奏しているDVDを見てほしい一心で

旦那がDVDプレイヤーを買ってきて、配線とか超苦手なのに一生懸命つないで

これまた一生懸命に嵐子さんに操作方法を説明して、

「私に出来るかしら」と彼女が言っていた二人のやり取りも、本当に懐かしく思い出されます。


「泊まってっていいのよ」と言う彼女の目が いつもとても辛く、

お別れの後 私が泣いて、旦那が「また会えるよ」というのがお決まりでした。


本当に本当に残念です。また会えると信じていました。



嵐子さんは凛としてクールで、でもその分厚いオーラの中に

傷ついた羽をそっと畳んでいるような、そんな女性だったように思います。



本当にたくさんのことを教えて下さって、ありがとうございました!


心より心より!ご冥福をお祈りいたします!!!

by kurovl | 2013-09-03 14:05 | ミュージシャン | Comments(0)

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